※本記事の一部はAIを活用して作成しています。
はじめに
塩田武士さんの小説『存在のすべてを』は、1991年に起きた二児同時誘拐事件と、そのうち一人の少年に残された「空白の3年間」を追う長編ミステリーです。
2024年本屋大賞では第3位、第9回渡辺淳一文学賞も受賞。さらに2027年2月5日に西島秀俊さん主演で実写映画が公開されることも決定しました。
物語の入り口は誘拐事件ですが、読み進めると中心にあるのは「犯人は誰か」だけではありません。
誘拐された内藤亮は、3年間どこにいたのか。
なぜ無事に帰ってきたのか。
そしてなぜ、その3年間について何も語らなかったのか。
この記事では『存在のすべてを』について、二児同時誘拐事件の真相から空白の3年間、野本貴彦と亮の関係、ラスト、実話や元ネタまでネタバレありで解説します。
※以下、原作小説『存在のすべてを』の重大なネタバレを含みます。
『存在のすべてを』の基本情報
『存在のすべてを』は2023年9月7日に朝日新聞出版から刊行された塩田武士さんの長編小説です。
単行本は472ページ。2026年4月7日には文庫版も発売され、こちらは568ページとなっています。
物語は平成3年、つまり1991年に神奈川県で起きた二児同時誘拐事件から始まります。
それから30年後の2021年。
当時事件を取材していた新聞記者・門田次郎が、旧知の刑事・中澤の死をきっかけに、再び事件を追い始めます。
『存在のすべてを』あらすじ
1991年、立花敦之という少年が連れ去られます。
父・立花博之のもとには、身代金として2000万円を要求する電話が入り、警察は誘拐事件として捜査を開始。
ところが同じ日、もう一人の少年――4歳の内藤亮も誘拐されます。
亮の祖父・木島茂には、犯人から1億円を用意しろという要求が入ります。
一晩のうちに二人の子供が別々の場所から誘拐されるという異例の事態。
警察は必死に犯人を追いますが、身代金受け渡しでは致命的な失敗が起きます。
指定場所に置かれた金は犯人の手に渡らず、事情を知らない第三者によって拾われ、交番へ届けられてしまいました。
事件は長期化。
そして内藤亮は行方不明のままとなります。
3年後、内藤亮が突然帰ってくる
事件から3年。
7歳になった亮が、突然祖父母のもとへ帰ってきます。
命に別状はなく、長期間監禁されていた子供から想像するような状態でもありませんでした。
しかし亮は、
「3年間どこにいたのか」
について何も語ろうとしません。
結局、誘拐事件は真相が明らかにならないまま時効を迎えます。
そして30年後。
亮は如月脩という名前で、注目を集める写実画家になっていました。公式紹介でも、この「被害男児の現在」と「空白の3年間」が作品最大の謎として提示されています。
誘拐事件の犯人は誰?
結論からいうと、内藤亮を誘拐した中心人物は野本雅彦です。
雅彦は尾崎康夫らとつながりを持ち、亮の母・瞳の周辺とも接点がありました。
身代金目的で亮を誘拐したものの、計画がうまくいかなくなります。
そこで雅彦は、弟の野本貴彦とその妻・優美に亮を預けます。
説明は、
「親が離婚でもめているから数日だけ預かってほしい」
というようなもの。
貴彦夫妻は当初、亮が誘拐された子供だとは知りませんでした。
ところが雅彦は戻ってきません。
ここから、亮の「空白の3年間」が始まります。
空白の3年間の真相
誘拐された子供が3年間行方不明。
この設定だけ聞くと、監禁や虐待など凄惨な生活を想像します。
しかし実際に亮が過ごした3年間は、そのイメージとは正反対でした。
亮は野本貴彦と優美から、本当の息子のように愛されて育てられていたのです。
貴彦夫妻はやがて亮が誘拐事件の被害者であることに気づきます。
それでも、すぐに警察へ連れて行くことはしませんでした。
当然、誘拐された子供を匿い続けることは許される行為ではありません。
それでも夫妻には、亮を簡単に元の家庭へ戻せない事情がありました。
亮は実の母親から育児放棄されていた
野本夫妻が亮と生活する中で分かったのは、彼がそれまで十分な養育を受けていなかったことでした。
亮は痩せており、髪にはフケが目立ちます。
そして暖かい布団に入っただけで涙を流す。
夫妻は、亮が実母・瞳のもとでネグレクトに近い状態に置かれていたことに気づいていきます。
亮自身も母親のもとへ戻ることを望んでいませんでした。
貴彦夫妻は実際に瞳の様子も確認します。
しかしそこにいたのは、息子を心配する母親というより、事件によって押し寄せたマスコミに翻弄される女性の姿でした。
しかも当時は亮の顔写真も十分に世間へ広まっていません。
夫妻は亮を連れて、滋賀や北海道へ移動しながら生活することになります。
野本貴彦は写実画家だった
野本貴彦は画家でした。
しかし当時の美術界の人間関係や権力構造に嫌気が差し、組織から離れていました。
そんな貴彦の才能を評価したのが、画商の岸朔之介です。
朔之介は貴彦を支え、亮が現れたあとも協力を続けます。
さらに美術コレクターの酒井龍男も、事情をすべて知らないまま住居を提供するなど、貴彦たちを支えました。
そして貴彦は、亮にも絵を教えます。
ここで亮の人生を決定づけるものが見つかります。
亮には、絵を描く才能があったのです。
後に如月脩という写実画家になる亮の原点は、この3年間にありました。
「誘拐された3年間」は亮にとって家族との時間だった
法律上で見れば、亮は誘拐された子供です。
しかし亮の側から見ればどうでしょうか。
実の母親から十分な愛情を受けられなかった亮にとって、貴彦と優美は初めて自分を大切にしてくれる存在でした。
一緒に食事をする。
暖かい場所で眠る。
絵を描く。
褒めてもらう。
そばにいてもらう。
それは「誘拐犯と被害児童」という言葉だけでは説明できない時間でした。
この作品が単純な誘拐ミステリーではないのは、ここからです。
なぜ亮を祖父母のもとへ返した?
それでも、いつまでも亮を隠して育てることはできません。
亮は成長し、学校へ通う年齢になります。
貴彦夫妻は最終的に、亮を祖父母のもとへ返すことを決断します。
実はその前から、夫妻は木島家へ手紙を送り、
亮が無事であること
を伝えていました。
さらに、亮が描いた絵なども届けています。
そして最終的には、
亮を祖父母が育てること
そして、
警察には貴彦たちについて話さないこと
を条件に、亮を返します。
亮が3年後、突然祖父母のもとへ帰ってきた理由はこれでした。
乳歯まで残していた野本夫妻
この部分は、個人的にもかなり印象に残っています。
貴彦と優美は、亮が成長する途中で抜けた乳歯まで大切に保管していました。
そして亮を返す際、その乳歯も祖父母へ渡します。
ただ子供を預かっていたのではありません。
成長の一つ一つを見守り、本当の息子として育てていたことが伝わる場面です。
「誘拐」という言葉から想像していた3年間と、実際に亮が過ごした3年間。
その落差が、この作品の大きなポイントだと思います。
その後、野本優美はどうなった?
亮を祖父母へ返したあと、優美は精神的に大きく崩れてしまいます。
3年間、我が子のように育てた亮を手放した喪失。
そして、
誘拐された子供だと知りながら返さなかった
という罪悪感。
優美はうつ状態になります。
やがて岸朔之介に相談し、
「警察に自首しよう」
という話になります。
しかし、その翌日。
貴彦が姿を消します。
貴彦がいなくなったことで、優美も自首することを断念します。
野本貴彦は最後どうなった?
ここは『存在のすべてを』の中でも、はっきり答えが示されない部分です。
野本貴彦の現在の所在は最後まで分かりません。
死亡が確認されるわけでもありません。
生きてどこかにいるのか。
すでに亡くなっているのか。
その答えは読者に委ねられています。
ただし亮は、貴彦との約束を忘れていませんでした。
土屋里穂はなぜ亮を探していた?
30年後の物語でもう一人重要なのが、土屋里穂です。
里穂は父親から「わかば画廊」を受け継いだ画商。
そして高校時代、亮と同級生でした。
里穂は亮に特別な思いを持っていました。
やがて門田と里穂は、貴彦や亮が残した写実画を手掛かりに、その足取りを追っていきます。
北海道、滋賀など、各地に残された風景画。
その絵に描かれた場所をたどることによって、「空白の3年間」の輪郭が見えてきます。
出版社の公式特設ページでも、門田の取材先として横浜、滋賀、北海道、北九州などが紹介されており、これらは塩田武士さん本人が実際に取材した場所でもあります。
ラストで門田と里穂が亮にたどり着く
門田と里穂は最終的に、現在の亮――如月脩へたどり着きます。
亮は、かつて貴彦と約束したアトリエを建てていました。
そこには一人の女性がいました。
一見すると亮の身の回りを世話する女性のように見えます。
しかし、その人物こそ野本優美でした。
亮と優美は、年月を経て再び一緒に暮らしていたのです。
500号の絵に描かれていたもの
亮が祖父母のもとへ戻る前。
貴彦、優美、亮の三人は一緒に写真を撮っていました。
それは、家族として過ごした三人の記録です。
貴彦はその写真をもとに、巨大な500号の写実画を描き始めます。
しかし作品は完成しません。
やがて亮が、その絵を引き継ぎます。
亮は今も絵を描き続けています。
完成期限はありません。
それは単なる巨大な絵ではなく、
野本貴彦・優美・亮という三人が本当に家族として存在した証拠
でもあるのでしょう。
タイトル『存在のすべてを』の意味
タイトルの意味は、本作の大きなテーマである写実絵画とつながっています。
写実というと、
「写真のようにそっくり描く絵」
というイメージを持ちます。
しかし本作が描いている写実は、もっと深いものです。
対象の表面だけを見るのではない。
その人がどんな時間を生き、どんな経験をして、今そこに存在しているのか。
そのすべてを見ようとする。
塩田武士さんは刊行時のインタビューで、写実画家・野田弘志さんの考え方から大きな影響を受けたことを明かしています。
たとえば一つの石を描くとしても、その表面だけではなく、その石がどこから来て、どう削られ、なぜ今ここにあるのかまで想像する。
それが対象の本質に近づくという考え方です。
門田が最後に書きたかったもの
30年前、新聞記者だった門田が追っていたのは、
「誘拐された子供」
でした。
しかし再取材によって知ったのは、報道された事件だけでは見えなかった人間たちの人生です。
野本貴彦。
優美。
そして内藤亮。
門田が最後に書きたいと思ったのは、「誘拐事件の真相」だけではありません。
そこに実際に生きた人たちの存在です。
「生きている」という重み。
「生きていた」という凄み。
塩田武士さん自身もインタビューで、この作品について、過去・現在・未来という時間の軸が通ることで、人間の「実在」を感じられるのではないかと語っています。
タイトルの『存在のすべてを』は、
人間を一つの事件、一枚の写真、一つの肩書きだけで判断するのではなく、その人が生きてきた時間まで含めて見つめる
という作品全体のテーマを表しているように感じます。
『存在のすべてを』は実話?
結論からいうと、『存在のすべてを』の二児同時誘拐事件そのものは実話ではありません。
ただし、かなり綿密な実地取材をもとに書かれています。
塩田武士さんは本作を書くにあたり、警察関係者から誘拐事件の捜査方法を取材。
さらに1991年当時の横浜の住宅地図を使って現地を歩き、当時と現在の写真まで比較したことを明かしています。
そのため、
「こんな誘拐事件が本当にあったのでは?」
と思うほど現実感がありますが、実在する事件をそのまま小説化した作品ではありません。
『罪の声』が実在したグリコ・森永事件をモチーフにしていたため、『存在のすべてを』にもモデルとなった誘拐事件があると思った人は多いかもしれません。
しかし今回は、実際の事件をモデルにするというより、徹底した取材によって架空の事件にリアリティを与えた作品と考えた方が近いでしょう。
写実画家・野本貴彦にモデルはいる?
一方、写実絵画の部分には明確な影響源があります。
それが、日本を代表する写実画家の野田弘志さんです。
『存在のすべてを』の表紙に使われている絵も、野田弘志さんの作品〈THE-9〉。
出版社公式サイトでも、塩田武士さんが野田さんとの出会いから得た知見やインスピレーションが、小説に取り込まれていると説明されています。
塩田さん自身も北海道にある野田さんのアトリエまで訪ねています。
ただし、
野本貴彦=野田弘志さん
という単純なモデル関係ではありません。
正確には、野田弘志さんの写実に対する思想や、実際の美術界への取材が、野本貴彦や作品全体に大きな影響を与えている、と考えるのがよさそうです。
なぜ写実絵画が誘拐事件と結びつくのか
最初に読んだとき、
「誘拐事件のミステリーなのに、なぜこんなに絵の話をするんだろう?」
と思うかもしれません。
でも最後まで読むと、二つは同じテーマにつながっています。
30年前、世間が知った内藤亮は、
「誘拐されたかわいそうな少年」
でした。
しかしそれは、亮という人間の一部分でしかありません。
3年間には貴彦と優美との生活があり、絵との出会いがあり、家族として過ごした時間がありました。
写実画も同じです。
ただ表面をそっくり描くのではなく、その対象が持つ時間や背景まで見つめる。
事件の表面ではなく、その奥にいた人間の「存在」を見る。
誘拐事件と写実絵画は、ここで一つになります。
2027年に実写映画化
『存在のすべてを』は、2027年2月5日に実写映画が全国公開されます。
主人公・門田次郎を演じるのは西島秀俊さん。
土屋里穂役は広瀬すずさんです。
監督は『64-ロクヨン-』『ラーゲリより愛を込めて』などを手掛けた瀬々敬久監督。
さらに仲村トオルさん、斎藤工さん、青柳翔さん、光石研さん、永島敏行さん、奥田瑛二さんらが出演します。
公式サイトでも、
「未解決で終わった、二児同時誘拐事件。当事者しか知らない、あの〈3年〉の真実。」
と、「空白の3年間」を映画最大の謎として打ち出しています。
472ページある長編を映画でどこまで描くのか。
特に野本貴彦・優美と亮が過ごした3年間、そして巨大な写実画を巡るラストがどのように映像化されるのか注目です。
『存在のすべてを』結末まとめ
『存在のすべてを』の事件を整理すると、
内藤亮を誘拐したのは野本雅彦。
しかし雅彦が弟・貴彦夫妻のもとへ亮を置いて逃亡したことで、事態は予想外の方向へ進みます。
亮は貴彦と優美から本当の息子のように愛され、3年間を過ごします。
そこで写実画と出会い、後に如月脩という画家になる土台も作られました。
やがて亮は祖父母へ返されますが、貴彦たちについては語らず、事件は未解決のまま時効を迎えます。
30年後、門田が事件を再取材。
写実画を手掛かりに全国を巡り、ようやく空白の3年間へたどり着きます。
そして現在の亮は、貴彦と約束したアトリエを建て、優美と再会し、貴彦が残した巨大な絵を描き続けていました。
ただし、貴彦本人が現在どこにいるのかは最後まで明らかになりません。
それでも亮は、絵を完成させることを諦めません。
そのキャンバスには、世間には存在しなかったことにされた三人の家族の時間が、確かに残っているからです。
漫画・コミック・小説ならDMMブックス(旧電子書籍)おわりに
『存在のすべてを』を読み始めたときは、二児同時誘拐事件の犯人と「空白の3年間」の謎を追うミステリーだと思っていました。
しかし読み終わって残るのは、犯人の名前以上に貴彦・優美・亮が過ごした3年間です。
血はつながっていない。
法的には許されない形で始まった家族。
それでも、その3年間に三人が本当に家族だったことまで否定できるのか。
そして、人間を事件の「被害者」「誘拐犯」という肩書きだけで見るのではなく、その人が何を見て、誰を愛し、どんな時間を生きてきたのかまで見つめること。
それが写実画と重なり、『存在のすべてを』というタイトルにつながっているのだと思います。
ちなみに500号の絵は、とんでもない大きさです。
だいたい3メートルを超えるサイズ。
初めて読んだときにも思いましたが、
もはや絵というより壁です。
長い物語の最後に、そんな巨大なキャンバスを亮が描き続けている。
しかも締め切りはない。
貴彦がどこにいるのか分からなくても、亮が描くことを諦めないという結末が、この作品らしい余韻を残していました。
ここまで読んでいただきありがとうごさいました。


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